はじめの章を受けて、この二つ目の章は「知識もといへの基のもよおし」と題されます。そして題のとおり、この章でのことは、問い、学び、知るということを促す基へと降りてみることであり、そのことをもって、考えるということのみなもとへと遡ってみることです。
人は、知ろうとし、考えようとします。知ろうとするも、考えようとするも、人のする働きであり、広い意味では振る舞いですが、その振る舞いおもむきの基は、いかなる趣でしょうか。
いや、べつだん考えようなどとはしないという人、ことさら知ろうなどとは思わないという人があるかもしれませんが、それでもかまいません。むしろ、そのほうがかえっていいくらいです。なにしろ、その人が、そう言えるのも、そう知っているからであり、そう考えるところからです。まさにその基は、いかがでしょうか。(「基のもよおし」に当たるドイツ語はGrundtrieb
です。Grundについては、すでにふれました。Trieb は、treiben〈駆る〉から来て、外に萌えいづる「新芽」や「若枝」、および内に萌す「むらむら」や「じわじわ」の働きを指します。それは、わたしたちが「もって基とする」まえに、わたしたちにとって「おのずからある」もしくは「与えられてある」ところ、すなわち所与であり、その意味において、生命現象であり、自然に属します。)
※
はじめの段から引きます。
ひともとの木を、ふたたび見やる。ひとたびは枝が憩い、ひとたびは枝が揺らぐのを、目にする。わたしたちは、その見てとるをもっては、満ちたりない。なぜ、ひとたびは憩い、ひとたびは揺らぐかと、わたしたちは問う。自然へのいちいちのまなざしが、わたしたちのうちに、ひとくさりの問いを産みだす。迎える現象のいちいちとともに、ひとつの課題がわたしたちに与えられている。生きることのいちいちが、わたしたちにとって、謎となる。卵から孵る生き物が、卵を生んだ生き物に似る。わたしたちは、それを目にして、そう似ることの基を問う。生き物が、育ち、長じ、それなりのほどになりてなる。わたしたちは、それを見て、そうなる上の条件を探る。およそ自然が感官のまえに繰り広げるところをもっては満たされないのが、わたしたちだ。わたしたちは、いたるところにおいて、ことごとの説き明かしを求める。
「ひとたび」「ひとたび」「いちいち」「なぜ」の繰り返し、目まぐるしく、動きのある、ひとくだりです。「見やる」「目にする」「迎える」から「問う」「探る」「求める」が促されます。その向きは、「自然(現象)」と「感官」との織りなしあいから「説き明かし」への向きであり、意識の上からいえば、暗がりから明るみへの向きです。(「感官」に当たるドイツ語はSinnであり、主としてからだの目や耳などのことです。「感覚」という語には、「金銭感覚」や「時代感覚」といった使い方からも分かるとおり、含みが多すぎますし、「五感」という語では、ものたりませんので、ひとまず、しぶしぶですが「感官」という語を使います。また、「説き明かし」に当たるのはErklarungであり、klar
〈明らか〉から来て、「解明」「明言」の意です。)
人の求めるは、つねながら、世のこころおきなく与えるを上回る。要るということは、自然が、わたしたちに与える。が、それを満たすということは、自然が、わたしたちみずからのする働きに任せる。たわわな恵みに、わたしたちは与るも、なおさらたわわなのが、わたしたちの欲りだ。飽くなきは、わたしたちの生まれつきと見える。その飽くなきのことさらなひとつの他ではなかろう、わたしたちの、知ることへのつきあげは。
念念馳求心(ねんねんちぐしん)ということばもあります。念念は刻一刻のことで、馳求心は馳せ求めるこころです。いかがでしょうか。わたしたちのこころには、刻一刻、満ち足りずに、馳せ求める向きがあります。そして、知ることへのつきあげが、どちらかというと「馳せる」といってもいいような趣であり、(ん、なんだ、なんなの、ねえ、といった、こと に、な、に、ぬ、ね、の、の声において表立つ趣
でもあります)、かたや感官において与えられるところに与ることへの欲りが、「求める」といってもいいような趣です。そして、わたしたちが、それを 満たすことは、それに多かれ少なかれ気づくところから始まります。さほどに気づかれないままで出てくるそれは、出物、腫れ物、あくび、おくび、などなど、さほどかわるところがありま せん。(なお「欲り」に当たるのは Begehren
であり、「欲すること」さらには「むさぽり」の「ぼり」です。また「つきあげ」に当たるのはDrangであり、いわば「(からだへの)さしせまり」です。)
一重(ひとえ)のなりたちをした者ではないのが、人である。
人がとにもかくにも気づく人みずからは、知、情、意という三重のこころのなりたちにおいて、「馳せる」「求める」という二つの趣ないし向きないし働きに基づいています。(「なりたちをした」に当たるのはorganisiert
であり、Organ〈組織〉〈器官〉からきて、いわば「なりたたされてある」ことの意です。ちなみに「なる」ということばも、いわば自然を重んずるところから使われましょう。なるほど、いまは濫りに用いられるきらいがありますが、それでもなお、その形は踏まえられています。また「一重 einheitlich」の「重」は、知、情、意がいわば重なりつつであることとの縁で選びました。)
実をいうと、ここまでは、やや趣向をこらして、はじめの段を後ろから前に辿ってみました。そして、章のはじまりには、モットーとして、ゲーテのファウストのせりふが掲げられています。はじめの段に述べられていることは、
深く人の自然に基づく人ならではのこと
として、そのせりふと一つに重なりあいます。
ふたつのこころが住むなり、わが胸には
ひとつがひとつより別れんとす
ひとつの、しぶとく愛し求め
この世になずみ、鎖(つが)り
ひとつの、たけく塵を去り
高きさきつ親の境に馳せる
(ファウスト Ⅰ, 1112-1117)
「愛する」「求める」「なずむ」「鎖る」働きは、迎える(シンパシックな)向きであり、ことに意の趣として、感官としてのからだにおいて、さらには手足の動きようにおいて気づかれます。とにかく、鼻は、いやな臭いをも拒みませんし、耳は、うるさい音をも退けませんし・・・。かたや「去る」「馳せる」働きは、向かう(アンチパシックな)向きであり、ことに知の趣として、頭の佇まいにおいて気づかれます。そして、人のこころは、向かう向きと迎える向きが、まずは「別れる」こころであり、その別れのさまざまなダイナミズムが、ことに情の趣として、胸の脈打ちと息づかいにおいて気づかれます。むむ・・・も−・・・め、といった、ことに、ま、み、む、め、もの声においても、あらわです。そして、人が、二つの向きに気づくところから、する働きをしはじめます。言い換えれば、人が、人におのずからある趣ないし向きないし働きを、人のものとしてもつところから、それを、する働きの基として用いはじめます。さらに言い換えると、人が、念念馳求心を、わずかなりとも歇得しはじめて、道を歩みだします。(「働き」に当たるのはWirkenであり、「する働き」に当たるのはTatigkeitです。いわば自発と作為の対、もしくは「なる」と「する」の対です。なお「さきつ親」に当たるのはAhnenであり、「先祖」ないし
「父」、今風にいえば「過去」ないし「昔」です。そのことも、大いなる謎ですが、まずは続きをお読みください。その続きのさきにおいて明らかになることがらですので。)
二つ目の段は、こうです。
わたしたちがものごとにおいて求める上澄み、ものごとにおいてじかに与えられているところを超えるところが、わたしたちのまるごとのものを、ふたところに分かつ。すなわち、わたしたちは、世と対し合うのを意識するようになる。わたしたちは、わたしたちを、ひとり立ちの者として起こし、世に対し合わせる。まるまるひとつが、わたしたちには、対し合うふたところと見える。〈わたし〉と世だ。
右に述べられていることは、ことに朝の目覚めにおいて際立ちます。すなわち、そこにおいて、わりあい楽に見てとられましょう。
たとえばですが、朝、ヒョイ・・・チョン・・・ヒョイ・・・チョン・・・というようなひびきがひびいています。雀です。どうやら、あちらとこちらで鳴き交わしています。いつものとおり、朝のはじめの鳴き交わしです。また、どうやら、相手がいないときには、一羽でそれをしているようでもあります。さらにまた、それは夏の朝の鳴きはじめです。秋になると・・・。つまり、そのようなプロセスにおいて、雀というものが、ものとなり、鳴くということが、こととなります。わたしの側からいうと、まずは、床の中で目が覚めます。というよりも、目を閉じたままのところに、意識の明るみが訪れます。その明るみに、ヒョイ・・・
チョン・・・の声が聞こえています。その明るみに与えられているところは、さしあたり、その声だけです。続いて、わたしは、雀との考えをもちます。それとともに、明るみが、確かになります。ただの明るみが、「上澄み」と「下の濁り(もしくは朧(おぼろな)な明るみ)」に別れます。確かな明るみは、上濫みの明るみです。それにつれて、わたしが、ヒョイ・・・チョン・・・の声に、なおさら「対し合う」ようになります。また、あちらに対し合い、こちらに対し合うこともできるようになります。いよいよもって、雀の「世」がむこうに、「〈わたし〉」がこちらにあるようになります。さらにまた、朝な朝な聞きつづけていると、もっと多くが聞き分けられるようにもなります。よって、いま、このとおり、「説き明かして」いる次第です。
といっても、朝です。そういつまでも、雀に付き合っているわけにはまいりません。出かける時も迫ってきます。目を開き、頃合いをみはからって、えい、と床からからだを起こします。いわば、わたしにとっては、目覚めつつの、雀との付き合いが、こころを起こすことであり、そのままからだを起こすことのそなえでもあります(朝が弱いもので)。そして、そのように起こされたこころが、わたしのこころであり、そのように起こされたからだが、わたしのからだであります。ありがたいことに、からだも、こころも、起こせるように出来ています。もしくは、与えられています。つたない例ですが、そのようなプロセスが、朝の目覚めのプロセスであるのみか、秘めやかながらも、目覚めという目覚めのプロセスです。つまり、なにかににつけて意識の明るみが訪れるプロセスです。そして、その明るみにおいて〈わたし〉という精神としての「ひとり立ちの者」が、〈わたし〉のこころを起こし、〈わたし〉のからだを起こしながら、ものごとをものごととしていきます。いいかえれば、「わたしたちは世と対し合うのを意識するようになり」ます。(「まるまるひとつ」に当たるのはDas
Universurnです。「万有」とも訳されますが、Uni〈ひとつ〉を引き立ててみました。それは、「わたしたちのまるごとひとつ」を呼ぶ名です。また、「〈わたし〉」に当たるのは、IchまたはDas Ich であり、ichという代名詞が普通名詞化された形です。その形のちがいを〈
〉を付して表すことにします〈わたし〉は、精神としての「ひとり立ちの者」を呼ぶ名です。逆に、わたしは、〈わたし〉のこころとからだをも含めての呼び名です。すなわち、わたしの身の立ちようは、〈わたし〉という精神の立ちようのおもかげです。もちろん〈わたし〉がいやなら、〈わし〉〈あたい〉〈おら〉〈おいら〉等であってもかまいませんが・・・。)
そして、三つ目の段は、こうです。
その、わたしたちと世のあいだの仕切りは、わたしたちが立てる。すなわち、意識がわたしたちの内に明るむやいなやである。なおかつ、わたしたちは、こういう情を失ってはいまい。すなわち、わたしたちが世のかたわれであり、わたしたちと世に絆があり、わたしたちがまるまるひとつの外ならぬ内なる者であるとの情だ。
「わがもの顔」とか「大きな顔」というのがあります。「傍若無人」とかともいいます。(古くても、まだ使えることばだと思いますが)、いわば、なんらかのけじめが欠けていることを言っていましょう。いうところの「仕切り」は、目に見えません。目に見えるところに重ねて立てられます。立てるのは、人です。たとえば、屏風や衝立(ついたて)が仕切りの役割をするのも、あるいは、したのも、そこからです。また、いわゆる輪郭線としてなぞられる線も、それです。そのような線も、目に見える限りにはありません。つまり、「仕切り」は、ものごとの際立ちであり、ものごとがものごととして際立つかどうかは、わたしたちが、向かう向きをもって、与えられたところに向かうかどうかに懸かります。そして、向かう向きにおいて気づかれるのが、「考える」働きです。(「立てる」に当たるのはerrichtenであり、richten〈向ける〉から来て、「起こす」「建てる」「直(なお)くする」の意です。はやりの「立ち上げる」も、それに近いかと思います。)
そして、「わたしたちの内」は、わたしたちのこころであり、さらにはからだです。こころとからだへと、意識とともに〈わたし〉が及びます。そのこころが、わたしのこころであり、そのからだが、わたしのからだであり、その意識が、わたしの意識、もしくは自意識です。そのことが、ことに、かの、幼いみぎりの「想い初め」の時において際立ちます。すなわち、その時を想い返すことによって、そのことのそもそものありようがありありと偲ばれます。また、そう偲ぶことが、おりにふれて、そのことを確かに見てとることの助けとなります。そもそも「わたしたちの内」は自意識とともにあるようになります。そして、わたしたちに自意識があることと、わたしたちが考える「働き」をすることとは、同じひとつのことです。試みに、向かう向きを抑えて、「考える」働きをかなたの方にさしおいてみると、さしおくほどに、いわゆる茫然自失、見とれ、見ほうける体に近くなります。
なおかつ、人のこころは、迎えつつ向かうありようです。わたしたちが、胸において、そのふたつの向きをあわせもつにおいて、もしくは、考えつつ情の繰り出しを感じるにおいて、世が、世でありつつ、わたしたちを親しく包みます。「まるまるひとつの内」に、「ひとり立ちの者」が、 どうにかこうにか居場所をもちます。かたじけなくも、まるまるひとつは、そう出来ています。
さて、その、どうにかこうにかの居場所に立ち、とにもかくにも胸のときめきを聞くところから(わたしは、あらためて目まいがしていますが)、こう、次の段がはじまっています。
その情が、対し合いに橋を渡そうとの勤しみを産みだす。そして、その対し合いに橋を渡すこととして、つまるところ、人という人の精神の勤しむことのまるごとがある。精神の生きることの歴史は、わたしたちと世のあいだの一重であることの、弛(たゆ)まなき探し求めである。宗教、芸術、科学が、同じほどに、その目標を追う。宗教をもつ者が、その者に神が与らせた啓示において、世の謎の解き明かしを探し求める。その謎を、その者の、ただの現象の世をもっては満ち足りない〈わたし〉が、その者へとさしだすからだ。芸術をする者が、素材に、その者の〈わたし〉の理念を込めようとする。その者の内に生きるところを、外の世と折り合わせるべくである。その者もまた、ただの現象の世によっては満たされないことを感じ、その世に、さらなるところを、すなわち、その者の〈わたし〉がその世の外へと赴きつつ抱くところを、かたどろうとする。考える者が、現象の法則を探しため求める。その者が、見つつ験すところに、考えつつ通おうとする。わたしたちは、世の内容を、わたしたちの考えの内容に仕上げて、かかわりをふたたび見いだす。さきに、そのかかわりから、みずからを解き放っているからだ。
なんとも、大いなることが、あたかもさらりと述べられています。いかがでしょうか。人が、互いに別れる二つの向きのあいだに立つにおいて、対し合う世とその人の〈わたし〉を、なんとか折り合わせようとすることがはじまります。それは、人のする働きです。逆に言うと、人が、する働きをもって、いよいよ人です。そのする働きを、「勤しむ」ということばが、ひとことで指します。そのことばは、いわば、動詞がものをいう「自由の哲学」において、動詞中の動詞です。そして、そのことばを、そのように使ったのも、ゲーテでした。勤しむ、すなわち、人のする働きという働きは、人が考えつつ感じるところから出てきます。(「勤しむ」に当たるのはstrebenであり、「はげむ」「つとめる」の意です。なお、励、蜀などが
「はげむ」、力、仇、努、孜、勉、務、勤、邁などが、「つとめる」と訓じられてきました。)
そして、いかがでしょうか。文化は、その「勤しむ」が産みだすところです。文化史は、「精神の生きることの歴史」として顧みられます。その「勤しむ」という観点に立つにおいては、宗教も、芸術も、知識ないし科学も、互いに手をつなぎ合います。さらに、「宗教をもつ者」「芸術をする者」「考える者」というのは、人の三重のなりたちに応じています。すなわち、〈わたし〉は、精神としてひとり立ちでありつつ、知、情、意において生きるものであり、ひとりひとり誰もが、人であるにおいては、多かれ少なかれ宗教をもつ者であり、芸術をする者であり、考える者であります。さらに、農業、漁業、工業、商業等々も、いうところの文化のうち、ことに真ん中の芸術のうちです。つまりは、それらの仕切りも、人が立てます。あらかじめ決めてかかると、述べられていることが分からなくなります。(その意味をこめて、Der
Religios-Glaubige, Der Kiinstler, Der Denkerを、「宗教をもつ者」「芸術をする者」「考える者」というように訳してみました。少し聞きなれない言い方かもしれませんが。ちなみに、「自由の哲学」の書き手の見るところ、哲学も、まこと哲学であるにおいては、芸術です〈初版の序〉。それについては、後に詳しくふれる折りがあるはずです。)
ここまでを、いまひとたび振り返ります。わたしたちは、問い、学び、知るということを促す基へと降りながら、迎える、向かうという、おのずからな向きを知り、さらに、向かう向きにおける世とわたしの対し合いを、ことに朝の目覚めの時、ひいては想い初め時を顧みて知り、さらに、迎える向きにおける世とわたしの絆があるという感じを、向かう向きと迎える向きのあいだに立って得ました。そして、そのとおり、人が、その人を見て知る道すじが、そのまま人という人の勤しみを迎えつつ向かって知り、ひいては文化という文化の歩みを顧みて知る道すじへと連なります。先の、いわば小さな道の明らかさと確かさが、そのまま後の、いわば大いなる道の明らかさと確かさへと連なりえます。そのあいだに、そもそも越えられないような溝はありません。といっても、溝が越えられるかどうかが、まさに人が勤しむかどうかに懸かります。しかし、まさに人が勤しむかぎりは、人と世のあいだに、いつかは橋が渡されるという望みが兆しますし、逆にまた、その望みが兆せばこそ、人が勤しみます。
いかがでしょうか。だれしも、生きているかぎりは、きっと、なにごとかに勤しんでいます。その勤しむかぎりにおいて問うてみてください。なにがしかの溝に、なんらかの橋が渡せるという望みが、たとえ遥にであっても、きっと、兆しているはずです。
ともかく、右にいう人の三重の勤しみのうち、考える者の勤しみが、広く見渡されます。すなわち、世と人について問い、学び、知るということが、「世の歴史」の上において、顧みられます。
そして、そのことにも、人の三重のなりたちが映し出されています。すなわち、「一重に世を掴むこと、もしくは一元論と、二つの世の論、もしくは二元論との対し合いとして」です。( それとともに、また、信仰と知識〈ないし宗教と科学〉が対し合い、知識と実践〈ないし科学と芸術〉が対し合います。)
そして、一重に世を掴むことも、二つの世を論じることも、対し合うかぎりは、人を満ちたらせることがありません。( それとともに、また、信仰も、知識も、さらに知識も、実践も、対し合うかぎりは、人を満ちたらせません。)
「二つの世を論じる」というのは、まさに言いえて妙ですが、「精神と物質」「観と観」「思考と現象」など、そういうことばでいうところの二つを、おおもとから二つであるというようにとらえて、そのあいだを「仮説」によってとりもつことです。といっても、いわゆる哲学書や哲学辞典にあたるまでもありません。当のことは、そういうものに縁のない人のことでもあります。おそらくは、世のほとんどの人が、みずからを顧みるにおいても分かることです。ありきたりに言ってみるなら、わたしと世はもともと違うのだと考えて、そのあいだをかりそめに折り合わせることです。つまりは、とりつくろいですから、いわば太鼓持かかちのような虚しさを抱えることにもなります。(「二つの世を論じる」に当たるのはZweiweltentheorieであり、Zwei〈ふたつの〉Welten〈世の〉Theorie〈理論〉という三語から造られています。そして「論じる」も、人が考えをもってすることです。)
「一重に世を掴む」というのは、いわゆる「唯物論」や「唯心論」のことです。が、仕切りは広く立てられています。これもありきたりに、日頃つねづねに引き寄せて言ってみるなら、右にいう対し合う二つのうち、どちらか一つを引き立てて、どちらか一つを見下すか、または二つがもともとひとつだとはなから決め込んでか、対し合っていることを取り合わないことであり、さらにはまた、あるときはこちら、あるときはあちら、のらりくらりと鶉(ぬえ)のように紛らわすことです。その「引き立て」にも、また「決め込み」にも、やはり無理があります。そして、無理が無理を招くことにもなります。また、無理があるぶん、鼻息も荒くなります。(「一重に世を掴む」に当たるのはeinheitliche
Weltauffassungであり、einheitlich 〈単一の〉Welt〈世の〉Auffassung〈把握〉というなりたちです。そして「把握する(掴む )」も、人が考えをもってすることです。)
わざと冷たく突き放したように言いましたが、実は、熱いこころゆえの突き放しです。いうところの二元論と一元論の対し合いは、今も引き続く、熱くて激しい争いでもあります。それを、またまたありきたりにいえば、知と情の対し合いです。そして、これまたゲーテの言うところですが、人は勤しむにおいて過(あやま)つものです。逆に、過つことのありうるところにこそ、まさに人が人として生きることもありえます。よって、勤しみの道は、葛藤の道でもあります。そして、葛藤を意識するかどうかに、人がいよいよ人であるかどうかが懸かります。葛藤を一概に避けていることは、人であることを避けていることでもあります。といっても、暴力の勧めではありません。なおさらに人であることの勧めです。念のため。
さて、十、十一、十二の三段を、そのまま引きましょう。さきの、一、二、三の三段と、みごとに応じ合います。
右の立場という立場に対して、きっと、このことがこととして立てられよう。わたしたちにとって、基の、かつ、おおもとの対し合いは、まずもって、わたしたちみずからの意識において出てくる。ほかならぬわたしたちが、わたしたちを、母の地、自然から解き放ち、わたしたちを、「〈わたし〉」として立てつつ「世」に対し合わせる。そのことを、古典的には、ゲーテが「自然」という文章において、あらわに語っている。たとえ、その趣が、さしあたりは、まったく非科学的だといわれようともだ。「わたしたちは、自然のさなかに生きるも、自然にとってよそ者だ。自然は、たゆまず、わたしたちと語らうも、みずからの秘め事を明かさない。」
はたまた、その逆の面も、ゲーテは知っている。「人は、みな、自然のうちにあり、自然は、人みなのうちにある。」
まこと、わたしたちは、わたしたちを、自然によそよそしく仕立てた。同じくまこと、わたしたちは、このことを感じている。わたしたちは、自然のうちにあり、自然に属する。それは、まさに自然の働きでこそありうる。それが、わたしたちのうちにも生きる。
わたしたちは、きっと、自然へと立ち返る道を、ふたたび見いだそう。ひとたび、こう重ねて考えても、その道が分かるだろう。わたしたちは、なるほど、わたしたちを、自然から引き離した。しかし、わたしたちは、きっと、なにがしかを、わたしたちみずからのものにおいて、ともに引き取っている。その、わたしたちにおける自然は、きっと、わたしたちが見つけよう。ならば、そのかかわりをも、ふたたび見いだそう。それをするのを、二元論は怠っている。その論は、人の内なるものを、ひとつの、自然によそよそしい精神のものと見なして、それを自然につなぎ合わせようとする。つなぎ目が見いだせないのも、あたりまえではないか。わたしたちが、外の自然を見いだしうるのも、まず内の自然を見いだしてからだ。わたしたちの内の、自然と同じものが、わたしたちの導き手となろう。そのことをもって、わたしたちの道が描かれている。わたしたちは、自然と精神の働き合いについて、いかなる思弁も押し立てまい。しかし、わたしたちみずからのものの深みへと降りよう。わたしたちが自然から離れるにおいて保ちきたった元手を、見いだすべくである。
さきに、わたしたちは、知、情、意という人のこころの三重のなりたちから、〈わたし〉と世という二つの対し合い、そして、一つの〈わたし〉
の意識、および、まるまるひとつの一つ、というように辿ってきました。そして、〈わたし〉の意識も、まるまるひとつのひとところです。そもそも、自然というのは、まるまるひとつのことです。わたしたちのものである精神もこころもからだも、まずはわたしたちにありあわせる(与えられてある)ところであり、まずは自然のひとところです。
わたしたちは、自然のうちの、まず、わたしたちにありあわせる向きないし働きに気づき、それをもつことによって、わたしたちのする働きに仕立てます。そのことによって、わたしたちは自然から隔たります。わたしたちは、さらにまた、そう仕立てることをも、もつことをも、気づくことをも、なおさらな意識をもって賄うことができます。そのことによって、わたしたちは、ふたたび自然に近づきます。まさにここまで、読むプロセスにおいて、してきたとおりです。(なお「それは、自然の働きでこそありうる」の「それ」は、いわゆる非人称のesです。)
その明るく確かな意識から、まさしく自然へと立ち返る道が、きっと、見つかります。ほかでもありません、さきに考えつつ見てとった、三、二、たわわになります。たとえば、「うち」が、わが社、わが家、わが身(「うちかて、あほや」とか)などを指すごとくです。
さらに、〈わたし〉は、生きる道を、まこと道と知ることをとおして、まるまるひとつの大いさを取り込みつつ、広がるようになります。そのとおり、いわば、わたしの形も、する働きも、大きさも、〈わたし〉とまるまるひとつとの織りなしあいから決まります。(なお「ここでは、わたしたちが〈わたし〉である…」は、ファウストのせりふ「ここでは人が人であることを許される…」を受けていましょう。そして、そのせりふも、春の祝い、復活祭の折りにはかれています。)
お終いの段は、いわば念のための段です。いや、念のためのような形をとっていますが、これまた、いまなお熱く、これからも、きっと、熱かろうことの、一側面です。また、そのまま引きます。
覚悟のことだが、ここまで読んできて、わたしの論が「知識の現在的水準」にかなっていないと見るむきもあろう。それに対しては、こう応じるまでだ。わたしは、ここまでにおいて、科学の成果とはかかわろうとしていない。わたしは、だれもがみずからの意識において生きるところを、ただに述べるということにかかわろうとしている。意識を世に折り合わせる試みにつき、いちいちの説を交えているのも、ただただそもそものことをはっきりさせようとしてである。また「〈わたし〉」「精神」「世」「自然」といった、いちいちのことばも、心理学、哲学の習わしどおりきちんと使うことには、些かの重きも置いていない。日頃つねづねの意識は、科学がもつきっばりした違いを知らない。そして、ただ日頃つねづねのことのありようを受けて取るということが、ここまでのことである。要は、科学が、これまで、いかに意識を解釈してきたかでなく、意識が、そのつど、いかに生きてあるかである。
いまなお、世の哲学書や科学の本の多くは、「日頃つねづねの意識」を受け取りませんし、「だれもがみずからの意識において生きるところ」を取り合いません。つまりは人を生かしません。
(なお「覚悟」に当たるのはaufgefasst
seinであり、auffassen〈上げて掴む〉の受け身の形です。そして、上げるは、わたしが迎える向きないし意欲の働きをもってする働きであり、掴むは、わたしが向かう向きないし「考える」働きをもってする働きであり、上げられて掴まれるのは、わたしの身〈こころとからだ〉です。また、「受け取る」に当たるのはAufnahmeであり、auf〈上げて〉nehmen〈取る〉から来ます。そして、「考える」働きについては、いよいよ次の章において詳しく述べられます。加えて、「ただに述べる」に当たるのはbloBe
Beschreibungであり、いわば、ことがらをありのままに述べること、仮説や思弁や感想などをまじえないことです。述而不作〈述ベテ作ラズ〉ということばもあります。)
*
さて、この回のお終いには、モットーのファウストのせりふをはじめ、そこここに見え隠れするちなゲーテに因んで、李白の「月下独酌」と題する詩を掲げます。引き合わせてみるのも一興でしょうから。
花間一壺酒 花間(かかん)一壺(いっこ)の酒
獨酌無相親 独り酌(く)んで相親しむもの無し
畢杯逸明月 杯(さかづき)を挙げて明月を邀(むか)え
對影成三人影 影に対して三人と成る
月既不解飲 月 既(すで)に飲を解せず
影徒隨我身 影 徒(いたずら)にわが身に随う
暫伴月將影 暫く月と影とを伴い
行楽須及春 行楽 須(すべか)らく春に及ぶべし