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さて、二十六の段が、こう続きます。
わたしは、さて、ひとつの広く行き渡った誤りにも、ふれておきたい。その誤りが、考えるに重ねて幅をきかせる。その誤りは、人が、こう言うことのうちにある。考えるは、それそのことのあるがままにおいては、わたしたちに、どこにおいても与えられていない。わたしたちの経験の見られるもろもろを結びつけ、〈考え〉網をもって紡ぎあげる、考えると、わたしたちが、後に、ふたたび、見るの対象から剥き取って、わたしたちの見てとるの対象とする、考えるとは、けっして同じようではない。わたしたちが、まず、意識しないで、ものごとへと織り込むところは、わたしたちが、そこから、意識をもって、ふたたび解し出すところと、まったく異なっている。
いかがでしょうか。当の言い分がなされるのは、ほかでもなく、考えるを、見られない客として、見てとるということを、こととして立てていないところからです。
そして、そのことを、こととして立てることができないのは、考えるを見るという、まさに例外のことを、こととして起こしていないところからです。
そして、そもそもにおいて、方法についての意識を欠くところからです。
ちなみに、それら三つのことは、さきに、こういう文のかたちにおいて述べられていました。三つ目、二つ目、ーつ目のことの順で引きます。
哲学者たちが、さまざまなおおもとの対し合いから説を起こしている。理念と現実、主観と客観、現象と物自体、わたしとわたしならざるもの、表象と意志、概念と物質、力と素材、意識と無意識などなど。しかし、このことは楽に見てとれよう。それらの対し合いのすべてに、きっと見ると考えるが、人にとってなにより重きをなす対し合いとして先立つ。(四の段)
これは考えるの独自な自然であるが、考えつつの者は、考えつつのあいだ、考えるを忘れる。その者にする働きをさせるのは、考えるでなく、考えるの対象であり、その者の見るところである。(十一の段)
そして、そのことも、また、考えるの、まさにそれならではの独自さである。わたしたちが、考えるを見るの対象とするにおいては、質において異なることの助けをもってするようには強いられず、同じ元手の内にとどまることができ
る。(二十の段)
はたして、当の言い分に対し合わされて、次の段が、こう続きます。
そう決めつける者は、このことをとらえていない。その者にしろ、その趣においては、考えるから飛び出すことが、まったくできはしない。わたしは、考えるを見てとろうとするにおいて、考えるを抜け出すことが、まったくできない。人が、意識するまえの考えるを、後から意識する考えるから分かつにおいては、このことを忘れないで欲しいものである。その分かちは、まったく外からの分かちであり、当のことそのことには、いささかもかかわらない。一体全体、わたしは、ひとつのことを、考えつつ見てとるによって、異なることには、していない。わたしは、こうは考えることができる。まったく異なる趣の感覚器官と、異なる機能の知性とをもつ者なら、馬について、わたしがもつのと、まったく異なる想いをもつかもしれない。しかし、わたしは、こうは考えることができない。わたしみずからの考えるが、わたしに見られるによって、異なるものになるとか。わたしは、わたしがなしとげるところを、見る。いま言うところは、わたしの考えるが、わたしの知性とは異なる知性にとって、いかに見えるか、でなく、わたしの考えるが、わたしにとって、いかに見えるか、である。しかし、いずれにしろ、わたしの考えるの相が、異なる知性のうちにおいて、わたしみずからのよりもまことであることは、ありえまい。ただ、仮りにだが、わたしが、考えつつの者でなく、考えるが、わたしにとってよそよそしい趣の者のする働きとして、わたしへと向かってくるならばこそ、わたしのもつ、考えるの相が、なるほど、それなり定かに立ち現れるということを、わたしは言いうるだろうし、その者の考えるが、しかし、それとして、どうであるか、そのことを、わたしは識ることができないでいよう。
まず、はじめの三つの文は、ーつ目のことにかかわります。すなわち、わたしたちが「考える」ということを言うのは、考えるを見てとるところからでなくして、どこからでしょうか。考えるを見てとるということは、「考える」と「見る」と「とる」からなりたちます。その「とる」が、つねづねの見るには見られなくても、つねづねの見るの後ろに控えます。すなわち、その「とる」が、例外の見るをとおし、見られない客として立つに至ります。そもそも、わたしたちが「見てとる」ということを言うのは、その「とる」を例外的に見るところからでなくして、どこからでしょうか。そして、そもそも、「見てとる」を欠く語りは、とらえどころのない語りです。( なお「決めつける」に当たるのはschliessenであり、「結ぶ、閉じる、帰結する」の意です。つまりは、「つまるところにおいて断じる」ことを言いましょう。)次の三つの文は、二つ目のことにかかわります。すなわち、見るは、わたしたちが対象へと働きかけることでなく、わたしたちが対象から働きかけられることです。そのことは、考えるを見るにおいても変わりはありません。
そして、さらに続くところは、三つ目のことにかかわります。すなわち、考えると見るは、人にとってなによりも重きをなす対し合いとして先立ちます。そのことの意識が薄れると、つい、考えや思いが、よそよそしく、ひとり歩きをしはじめます。そして、そのことの意識が薄れるのは、わたしのこころとからだにおけるアクテビティが減じることからであり、アクテビティが減じるのは、わたしが、わたしのこころとからだにいあわせないことからです。言い換えれば、わたしたちの精神の、ふたつながらの基の柱、考えると見るが、それとして立てられないところからであり、ひとりの人のなしうる、もっとも重きをなす見る、考えるを見るが、ないがせにされるところからです。なお、そのことは、主にーの段から五の段までおいて述べられていました。(「よそよそしい」に当たるのはfremdであり、intim〈親しい〉の対です。)
ついでですが、いうところの「よそよそしさ」は、いまの公のシーンにおいて、ことのほかあらわです。すなわち、「わたしたちにとってよそよそしい趣の者のする働き」という仮りの思いもうけが、まさに仮りの思いもうけであることを問われないままに、まかりとおります。たとえば、「異なる知性(神、仏、天才、偉人などです) 」という名のもとに、さまざまな推量がやたらに好まれ、「物質(原子、分子、遺伝子、ゲノム、カルシュウム、フェロモンとかです) 」という名のもとに、こころと精神についての有象無象の情報が賑やかに飛び交い、「無意識」という名のもとに、もろもろの憶測が居丈高に幅をきかせます。
といっても、それに対して、むやみに肩肘を張るには及びません。要るだけの勇気は、まさに要るだけ、考えるを見るから、静かに起こりますし、考えるを見なければ、そもそも勇気を要するまでもありません。すなわち、ことは、考えるを見るにかかります。まさに考えるを見るから、しっかりとした一点が、どこにおいてであれ、儲けられます。そして、そこから、じかに、親しくなるものはなり、ならないものは立ち去ります。
すなわち、次の段が、こう続きます。
しかし、わたしみずからの考えるを、異なる立場から見やること、さしあたり、わたしにとって、そのことへの弾みは、つゆほどもありあわせない。わたしは、なにせ、残りの世のまるごとを、考えるの助けをもって見てとる。なのにどうして、わたしは、わたしの考えるのもとにおいて、そのわたしの考えるを、ひとつの例外にすべきなのか。
「さしあたり、わたしにとって」というのは、なんと強く、かつ、なんと慎ましく響くことばでしょうか。そのことばは、わたしが明らかにいあわせ、かつ、わたしの見るの限りを明らかに認めるところから響いてきます。すなわち、わたしが、つまるところにおいて、考えるを、見られない客として、広やかに、安らかに、見つつ、それを、上から、前へ、後ろへ、下へ、明らかに、しっかりともたらし、かつ、わたしの限りある見る、わたしの限りあるなりたちを、親しく認めつつ、世(ものごと)のなりたちへの問いを、いきいきと起こすところからのことばです。(「さしあたり」に当たるのはvorlaufigであり、vor〈前に〉laufen〈走る〉から来ます。そして〈前〉は〈後〉との対、〈走る〉は〈立つ〉との縁です。すなわち、そのことばは、人が立ち歩むにおいて、なおさら人となりゆくプロセスないしパ一スペクテイブをも指していましょう。)
さて、この回のお終いには、山村暮鳥「聖三稜玻璃」から、「岬」と題する詩を引きます。
岬の光り
岬のしたにむらがる魚ら
岬にみち尽き
そら澄み
岬に立てる一本の指