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略伝自由の哲学第四章a−6

 この回は、四の章の九の段からです。いつものとおり、段のまるごとを、そのまま引くことにします。

 

 次は、さて、わたしたちみずからに、こう問うことになろう。もうひとつの元手、わたしたちがこれまでにただ見るの客と言ってきたもの、考えると意識の内に出会うものが、意識の内へと、いかにやってくるかである。

 

 ここまで、わたしたちは、考えるの導きに沿いつつ、〈考え〉から人の意識へと場を移してきました。ここで、さらに見るの客へと場を移すことになります。そして、その「なる」は、ほかでもなく、考えるに沿えばこそのことであり、考えるからの恵みです。(はじめの文は Das Nachste wird nun sein, uns zu fragen: であり、 Das Nachste〈最も近きは〉 nun〈さて〉 uns〈わたしたちに〉 zu fragen 〈問う・こと〉sein wird 〈である・ようになる〉というふうに読めます。)

 

 また、その「移す」は、わたしたちのする働きであり、まさに「問う」ということにほかなりません。そもそも、わたしたちが問うということをするのは、人の意識と見るの客のあいだ、人の意識と客についての意識のあいだにおいてであり、言い換えれば、意識の明るいところと暗いところのあいだ、〈考え〉のあるところとないところのあいだにおいでです。(ここにおいて明らかなとおり「人の意識 das menschlicheBewusstsein 」と「意識 das Bewusstsein 」とは、しっかり使い分けられています。)

 

 さらにまた、その「問い」の内容は、いかかでしょうか。まさに考えるの導きに沿いつつでは、見るの客のなんたるかを問うに先立って、きっと、見るの客が意識へと入り来ることのいかなるかが問われます。そして、すこし先取りして言いますが、その問いは、おおもとの問いとして、わたしたちが問いという問いを確かに立てることの支えとなります。

 

 ともかく、こつこつと、地道にまいります。次の段が、こう続きます。

 

 わたしたちが、その問いに答えるには、きっと、わたしたちの見るの境から、すでに考えるを通してその境へと担い込まれているすべてを、分かち隔てることを要する。そもそも、わたしたちのそのつどの意識の内容は、つねに〈考え〉のかずかずをもって、いく重にも貫かれている。

 

 問いも問いなら、答えも答えです。その問いも、その答え(へのとっかかり)も、きっと、わたしたちが、する働きをなおさらにもって、人の意識をいやましに明るめつつの、問いであり、答え(へのとっかかり)です。(「きっと」に当たるのは mussen であり、いうならば、わたしたちが、考えるに沿って明らかにものを言うときの、まさに明らかなモードでもあります。かたや、さきの段にあるとおり、werden〈なる〉は、わたしたちが、考えるの恵み受けて、ありがたくものを言うときの、まさにありがたいモードでもあります。なお、それについては、すでに二の回においても少しふれていますので、見て下さい。)

 

 すなわち、わたしたちが、その問いに答えるには、わたしたちが、見るの境へとすでに担い込んでいる〈考え〉を、分かち隔てることを要します。そして、その「担い込む」も、かすかすながらであろうと、わたしたちのする働きであり、その「分かち隔てる」も、なおさらながらに、わたしたちのする働きであり、いわゆる分別する力のまるまる育った形を言いましょう。(「担い込む」に当たるのは hineintragen であり、hinein〈内へと〉tragen〈担う〉というつくりです。なお tragen 〈担う〉については 3-fの回を見てください。また「分かち隔てる」に当たるのは aussondern であり、aus 〈外へと〉 sondern〈分かつ〉というつくりで、「分離、除外」の意です。)

 

 すなわち、「〈考え〉を担い込む」は、むしろ分別がつくプロセスであり、「〈考え〉を分かち隔てる」は、むしろ分別する力を用いるプロセスです。そして、分別は、身についた〈考え〉ないし思いであり、分別する力は、思う力ないし考える(かむがう)力です。そして、その力は、わたしたちの手の内であり、思うも、思わないも、ないしは考える(かむがう)も、考え(かむがわ)ないも、たとえ、ほんの片時のことであろうと、きっと、わたしたちの意のままになります。

 

 そして、次の段です。

 

 わたしたちは、きっと、こう思ってしかるべきでだろう。ある者が、まるまる育った人の賢さをもって、無から生じ、世に対し合うとする。その者が、そこにおいて、考えるを、する働へともたらすに前に、気づくであろうところが、紛れのない見るの内容である。世が、その時、その者に示すのは、感覚の客のかずかずの、ただなる、かかわりを欠いた、寄せ集まりであろう。色のとりどり、音のいろいろ、触、熱、味、匂いの感覚のそれぞれ、そして快と不快の情のいちいち。それらの寄せ集まりが、紛れのない、考えを欠いた見るの内容である。それに対して考えるが立ちはだかる、とっかかりが見つかるや、そのする働きを繰り広げるべくである。経験がやがて教える、その者がその者みずからを見いだすことをである。考えるは、ひとつの見るの元手から、もうひとつへと、糸を引くことができる。考えるは、それらの元手と、定かな〈考え〉を結び、そのことを通して、それらの元手を、ひとつのありようへともたらす。すでに視たとおり、わたしたちに出会う、ひとつの音が、もうひとつの見られるところと繋がれるのは、わたしたちが、先のひとつを、後のひとつの所為として引き立てることを通してである。

 

 はじめの文に「思う」とあるとおり、右のことのまるごとが、まずもって、わたしたちのする働き、思うに懸かります。そのまるごとは、きっと誰しもが、とにかく思おうとすれば、それなりに思うことができるはずです。(「思う」に当たるのは vorstellenであり、vor〈まえに〉stellen〈据える〉というつくりで、「思い浮かべる、表象する」の意です。)

 

 ことのありように鑑みて、ことを繰り返し辿ることもことのうちですから、続くくだりを繰り返して引くことにします。そもそも、繰り返し辿ることによって、思うのアクティビティが嵩じます。

 

 いざ、二つ目の文です。

 

 ある者が、まるまる育った人の賢さをもって、無から生じ、世に対し合うとする。

 

 「・・・とする」あるとおり、ことは仮定法で述べられています。そもそも、仮定法というのは、わたしたちが思いのままであるときの、思いのままのモードです。ときには、身勝手なモードでさえあります。(原文は接続法二式が用いられています)。

 

 そして、ことの内容のほうへと移りましょう。それを、たとえば、こう言い換えてみるとします。

 

 人の意識が、大人の賢さをもって、無から生じ、世に対し合うとする。

 

 そこにおいて、ありえないのは、なんでしょうか。「無から生じる」ということのみです。人の意識も、大人の賢さも、「無から生じる」でなく、わたしたちに、ものごころがつき、分別がついてくるにつれて、わたしたちによって、保たれるようになり、繰り出されるようになるものです。しかしまた、わたしたちは、人として育ち、大人となって、人の意識をまるまる保ち、大人の賢さをしっかり繰り出せるなら、その賢さを手控えることも、よしんば、ほんの一時のことであろうと、きっと、できるものです。(「ある者」に当たるのは ein Wesenで、ein〈ひとつの〉Wesen〈もの〉という言い方です。Wesen〈もの〉については、さきの回にふれました。「育った」に当たるのはentwickeltであり、entwickeln〈繰り出す、育つ〉の分詞形です。「賢さ」に当たるのは Intelligenzであり、「思う力、考える力」であり、「知性、思量、知恵」といったことばも当たります。なお、ここまでのことから明らかなとおり、いうところの賢さは、そもそもにおいて、考えるからの恵みです。)

 

 三つ目の文です。

 

 その者が、そこにおいて、考えるを、する働きへともたらす前に、気づくであろうところが、紛れのない見るの内容である。

 

 「気づくであろう」とあるとおり、これも仮定法です。そして、内容はこうです。「考えるを、する働きへともたらさない」というのは、思う力も考える力も用いないことです。そして、その「用いない」にも、わたしたちは、きっと、用いないだけの力を用います。言い換えれば、その「用いない」も、わたしたちのする働きです。しかも、はなはだ嵩じた形でのする働きです。まさに、その働きをもって、世を迎えつつ気づくところが、紛れのない見るの内容、ただなる見るの客の趣です。

 

 四つ目の文です。

 

 世が、その時、その者に示すのは、感覚の客のかずかずの、ただなる、かかわりを欠いた、寄せ集まりであろう。色のとりどり、音のいろいろ、触、熱、味、匂いの感覚のそれぞれ、そして快と不快の情のいちいち。

 

 そこに述べられる世の趣は、一の段に述べられた〈考え〉の趣と、あざやかな対をなします。そして、文の形は、仮定法です。(「寄せ集まり」に当たるのは Aggregat であり、「凝集、集合、集合体」といった訳語が当てられます。なお「かずかず」「とりどり」・・・は、原語の複数形に当たります。苦肉の策です。)

 

 五つ目の文です。

 

 それらの寄せ集まりが、紛れのない、考えを欠いた見るの内容である。

 

 文の形は、直接法です。文の内容は、すでに述べられていることの繰り返しです。いかがでしょうか。仮定法から直接法へ、にわかにモードが変わっていますが、それをへんに思われるでしょうか。それとも、そのあいだの筋道が明らかに考えられるでしょうか。それともまた、ふたつのどちらでもあるでしょうか。仮定法から直接法へ、書き手は、きっと、意識的にモードを切り換えています。つまり、考えの筋道が明らかであり、きちんと通っているからこそ、まさに思いが変わります。そこからこそ、書き手はモードを切り換えています。

 

 そもそも、ここまでのプロセスは、きっと、わたしたちのする働きに恵みとして贈られる、なるのプロセスです。わたしたちは、きっと、なにがしかの問いが、まずは立つようになり、その問いを、次にはアクティブに立てるようになりつつ、いよいよ、考えるの高みから考えを手控えつつ、世を、あらためて迎えるようになります。または、こうも言い換えられます。わたしたちは、きっと、まずは世を迎えるところから、だんだんにする働きをもって世に意識的に向かうようになり、さらにする働きを高めつつ、世に向かうことを意識的に控えて、世を迎えることを意識的にするようになります。まさにあらためて、ういういしく、みずみずしくです。「ある者が、まるまる育った人の賢さをもって、無から生じ、世に対し合うとする」という思い切った仮りの定めは、その実、人の意識への訴えであり、人のする働きへの促しであり、それに応じる人のなおさらな意識、人のなおさらなする働きは、いつしか、人のういういしさ、世のみずみずさをもって報われます。そこから、また、主も、客も、よみがえります。

 

 いったい、いうところの世の趣は、わたしたちになじみのないものでは、けっしてありません。ものごころのつく前はいさしらず、ついてから後のこととして、わたしたちは、時に、わけのわからないことに出くわしもします。おかしなものを迎えもします。いうところの世の趣は、そのわけのわからない、おかしなものの趣にも通じます。たとえば、わたしたちが見ほうける時の、世のありようであり、たとえば、わたしたちに人心地がしない時の、世のありさまであり、たとえば、わたしたちが山の急な斜面を一気に駆け降りる時の、こくこくに向かい来るいちいちの趣です。ただ、それは、そうした常ならざる時にきわだつものの、常々には、ほとんど口にされない趣であり、あるいはまた、どうにも口にしがたく、ものぐるおしい趣ですが・・・。

 

 六つ目の文です。

 

 それに対して考えるが立ちはだかる、とっかかりが見つかるや、そのする働きを繰り広げるべくである。

 

 まさにその「考えるの立ちはだかり」が、さきに言う「口にしがたさ」「ものぐるおしいさ」を治めて鎮めます。そもそも、その「考えるの立ちはだかり」は、わたしたちのする働きからもたらされる、安らかな考えるにほかなりません。(「立ちはだかる」に当たるのは imstande sein であり、stande〈立つ〉im〈内に〉sein〈ある〉という言い回しで、「・・・する力がある」といった意です。もちろん、その力は、いうところの賢さです。そして、人が、考えるの働きを、人のする働き、考える力、思う力に仕立てているにおいて、人に、人の賢さがありあわせます。また、「とっかかり」に当たるのは Angriffspunktであり、Angriff〈着手〉Punkt〈点〉、すなわち an〈触れて〉 greifen〈とらえる〉 Punkt〈点〉というつくりです。なお greifen〈とらえる〉については、たとえば3-fの回を、Punkt〈点〉については、たとえば3-dの回を見てください。)

 

 七つ目の文です。

 

 経験がやがて教える、その者がその者みずからを見いだすことをである。

 

 考えると見るの重なりにおいて、世についての経験と意識があり、世についての経験と意識があるにおいて、人の意識があります。その意味において、人の意識は、意識的な意識、意識の意識、自己意識です。そして、そもそも、わたしたちが、はじめてわたしたちみずからを見いだすのは、もしくは、わたしたちにものこごろがつくのは、まさに考えるのする働きがわたしたちみずからに繰り出すようになって、もしくは、わたしたちが考えるの働きをわたしたちのする働きとして、世を経験しつつ、やがて、わたしたちみずからを、世のひとところとして経験するにおいてです。そのことも、まさにこれまでのプロセスから明らかになります。まさに考えるからの贈り物です。(なお「経験 Erfahrung」については、4-a-1 の回を見てください。)

 

 八つ目の文です。

 

 考えるは、ひとつの見るの元手から、もうひとつへと、糸を引くことができる。考えるは、それらの元手と、定かな〈考え〉を結び、そのことを通して、それらの元手を、ひとつのありようへともたらす。

 

 考えると見るとの重なりにおいて、ものごとの定かさがあり、ものごとの定かさがあるにおいて、人の意識の定かさがあります。そもそも、ただなる見るの客へと、定かな考えがぴたりと重なるゆえに、わたしたちは、ものごとを定かにとり、確かにつかみ、手堅くとらえることができるようになります。そのことも、また、これまでのプロセスから明らかになるところです。(なお「定かな bestimmt 」については、さきの第四章①-5の回を見てください。そして、九つ目の文です。

 

 すでに視たとおり、わたしたちが出会う、ひとつの音が、もうひとつの見られるところと繋がれるのは、わたしたちが、先のひとつを、後のひとつの所為として引き立てることを通してである。

 

 そして、いよいよ、わたしたちは、ものごとをも、わたしたちみずからをも、安らかに立てることができるようになります。まさに考えるの安らかさから、安らかに見てとるところを基にしながらです。すなわち、わたしたちは、問いという問いを確かに立てる支えを手にしています。(「引き立てる」に当たるのは bezeichnen であり、be〈まさに〉 zeichnen 〈印す〉というつくりで、「印をつける、あらわに示す、言い表す」といった解があります。なお 第四章①-2の回も見てください。)

 

 さて、次の段が、こう続きます。

 

 わたしたちは、さて、このことを思い起こそう。考えるのする働きが、主のする働きとしてつかまれてはならないことである。ならば、わたしたちは、こう信じることへと誘われもしないだろう。考えるを通して立てられるかかわりが、ただに主の立てるところであるのみだとか。

 

 振り返って、わたしみずからのする働きとの重なりにおいて、考えるのする働きがあり、その上に安らかな考えるがあります。(「思い起こす」に当たるのは uns erinnern であり uns〈わたしたちみずからを〉erinnern〈深める〉という言い回しで、「想起」と「記憶」という、いわば向きの異なる二つの意味を兼ねます。)

 

 そして、その重なりを、まさに引き立てるならば、わたしみずからの身勝手な思い込みを云々するには及びません。(「信じる」に当たるのは glaubenであり、いわば「なにがしかのかたさをもって思う」ことです。たとえば「おもわく」「思い込み」「信仰」などですが、ただし、いうところの「かたさ」は、あいまいなものから来ていることも、明らかなものからも来ていることもあります。また「ただに主の立てるところであるのみ」に当たるのは nur subjektive Geltung haben であり、nur〈ただに、もしくは一重に〉subjektive〈主の、もしくは主観的な〉 Geltung〈価値、もしくは通用を〉 haben〈もつ〉のみという言い回しです。)

 

 そして、次の段です。

 

 ここでこれからのこととなるのは、かさねがさね考えるを通して、右に言うところの、じかに与えられる見るの対象が、わたしたちの意識された主に対してもつ重なりを、探し求めることである。

 

 さきの段に述べられることは、どちらかというと、わたしたちがわたしたちみずからを遡る向きでするのに対し、この段に述べられていることは、むしろ、わたしたちがわたしたちみずからを下る向きにおいてします。言い換えれば、考えるを、かさねがさね下ろすにおいてです。(「かさねがさね考える」に当たるのは uberlegenであり、uber〈上に〉legen 〈置く〉というつくりで、「考量、熟考」の意です。)

 

 こうして、わたしたちは、いわば考えるの高みを見いだしつつ、降りるところまで降りきったところで、あらたな出発点に立ち至っています。

 

 すなわち、「客が意識の内へと、いかにやってくるか」をつきとめ、問いという問いを確かに立てる支えを得たところで、ここからは、その客がなんであるか、そもそも世がなんであるかを問うことになります。そして、その「なる」も考えるからの恵みです。

 

 すなわち、これからのこととなるのは、人の二重の自然、安らかな考えると安らかな見るとのあいだを行き来することであり、人のする働きを嵩じさせ、人の意識を強めつつ、ものごとをも、わたしたちみずからをも、あらためて見てとることです。

 ここで、ふたたび道元です。坐ろうと考えて坐る人というのは、あまりいないと思いますが、坐るには、きっと、だれしも、たとえ微かにであろうと、坐ろうとして、つまり坐ろうと思って坐ります。その思いのうちに、きっと、座禅への根があります。よしんば僅かであろうとも・・・。

 

 ここに『座禅箴』の、ほんのさわりを取り上げます。まず、こうあります。

 

 薬山弘道大師、坐次有僧問「兀々地思量什麼」

 師云、「思量箇不思量底」

 僧云、「不思量底如何思量」

 師云、「非思量」

 

 大師の道かくのごとくなるを証して、兀坐を参学すべし、兀坐正伝すべし。兀坐の仏道につたはれる参究なり。兀々地の思量ひとりにあらずといへども、薬山の道は其一なり。

 

 略伝流のことばつかいで、すなわち、働き、する働きを、できるだけリアルに引き立てながら、言い換えてみます。なお、はじめの問答については、前の回を見てください。

 

 薬山の道、すなわち右の問答のプロセスを明らかにして、しずかに坐ることを、しずかに坐って学ばれたい。しずかに坐ることを、まさに担い運ばれたい。しずかに坐ることは、仏道につたわることであり、しずかに坐って究められることである。じっとしずかな地についての思い、量らいは、ほかにもあるが、薬山の道、右の問答のプロセスも、そのひとつである。

 

 いはゆる「思量箇不思量底」なり。思量の皮肉骨髄なるあり、不思量の皮肉骨髄なるあり。

 

 「思わないことを思い、量らわないことを量らう」ということだが、思うも、量らうも、われわれが身をもってすることであり、思わないも、量らわないも、(同じく)われわれが身をもってすることである。(すなわち、思うも、思わないも、また、量らうも、量らわないも、われわれの手の内にあり、意のままになることである。)

 

 僧のいふ、「不思量底如何思量」。

 

 まこと不思量底たとひふるくとも、さらにこれ如何思量なり。兀々地に思量なからんや、兀々地の向上なにによりてか通ぜざる。賤近の愚にあらずは、兀々地を問著する力量あるべし、思量あるべし。

 

 僧が言う「思わないこと、量らわないことといっても、それをどうやって思い、どうやって量らうのか。(それを思い、量らえば、やはり思うこと、量らうことではないか。)」と。

 

 まこと、思わない、量らわないこととは、古くから言われてきたことであり、しかも思い、量らうことをもって言われてきたことである。じっとしずかな地について、思い、量らわない人があろうか。その思い、量らいの、脈々とした系譜も、なにをかくそう思い、量らいによって辿られるではないか。このごろの浅はかな輩ならともかく、じっとしずかな地について、はっきりと問う力をもちあわせていただきたい。思い、量らっていただきたい。

 

 大師いはく、「非思量」。いはゆる非思量を使用すること玲瓏なりといへども、不思量底を思量するには、かならず非思量をもちゐるなり。非思量にたれあり、たれ我を保任す。兀々地たとひわれなりとも、思量のみにあらず、兀々地を挙頭するなり。兀々地たとひ兀々地なりとも、兀々地いかでか兀々地を思量せん。

 

 薬山が言う「非思量」と。いうところの非思量(略伝のことばで、考える)を用いることは、そこはかと、うるわしいことであるものの、思わない、量らわないことを、思い、量らうには、きっと、非思量を用いる。非思量に、たれ(略伝のことばで、働き、助け、恵み)がある。たれが、われみずからを、養い、支え、うけあうのである。じっとしずかな地は、われみずからでもあり、(われみずからには)思い、量らいがあるのみでなく、(考えるがあって、われみずからでもあり、ものごとでもある)じっとしずかな地の頭を起こすのである。じっとしずかな地はじっとしずかな地であるが、じっとしずかな地は、なにをもってじっとしずかな地を思い、量らうのか。(まさに考えるをもってである。)

 

 しかあれはすなはち、兀々地は仏量にあらず、法量にあらず、悟量にあらず、会量にあらざるなり。

 

 そのとおり(考えるから、思い、量らいを治めるとき)、じっとしずかな地は、なんの量らいもまじえないである。(略伝のことばで、ただの見るの客であり、かかわりを欠いた、いちいちの寄せ集まりである。)

 

  薬山かくのごとく単伝すること、すでに釈迦牟尼仏より直下三十六代なり。薬山より向上をたづぬるに、三十六代に釈迦牟尼仏あり。かくのごとく正伝せる、すでに思量箇不思量底あり。

 

 薬山は、そのとおり、ことをひとりで担い運んだ。(問い答えのあいだを、ひとりの力で行き来した。)シャカムニ・ブッダから三十六代の後にである。薬山から(考えるをもって)上へと遡れば、三十六代前にシャカムニ・ブッダがいる。そのとおり、(考えるをもって)脈々と行き来することからこそ、すでに、こう思わない、量らわないことについての思い、量らいがあるのである。

 

 そして、道元が、そのように説いたのは、まさにそのころの人に向けてでした。たとえば、次の歌も、時をやや大きく括るなら、そのころの人のつくったものです。

 

 花の色はうつりにけりな

  いたづらに

   我が身世にふるながめせしまに

 

 その「ながめ」にも、きっと、ただの見るが偲べます。それは、移ろうもののいちいちに対して、ちりぢりに乱れんとする思いを、かろうじて抑えつつの見るです。

 さて、わたしたちは『自由の哲学』をもって、シャカムニ・ブッダへばかりか、さらにほかのところへも遡ることができます。たとえば『荘子』に、こういうくだりがあります。

 

 南海の帝を儵といい、北海の帝を忽といい、中央の帝を渾沌といった。儵と忽とはときどき渾沌の土地で出あったが、渾沌はとても手厚く彼らをもてなした。儵と忽とはその渾沌の恩に報いようと相談し、「人間にはだれにも〔目と耳と鼻と口との〕七つの穴があって、それで見たり聞いたり食べたり息をしたりしているが、この渾沌だけはそれがない。ためしにその穴をあけてあげよう」ということになった。そこで一日に一つずつ穴をあけていったが、七日たつと渾沌は死んでしまった。(応帝王篇 第七)

 

 その「渾沌」は、きっと、ただの見るの客のまたの名です。

 

 そして、それからかれこれ二千年、儵と忽、ふたりの帝は、いまや、それほどに親切ではありません。もちろん、子どもには、あいかわらず親切にしてくれますが、大人には、なおさらに手厚いもてなしをせよと求めています。いや、それも、いいようによっては、なおさらな親切です。つまり、ひとりで足場をかためて、しっかり独り立ちせよとの求めですから。