世間(よのなかを)を何に誓(たと)へむ朝びらき
漕ぎ去(い)にし船の跡なきがごと
前の回のお終いに右の歌を引きました。『万葉集』から、沙弥満誓(さみまんぜい)の作です。「沙弥」は「出家して十戒を受けた少年僧。わが国では、少年に限らず、一般に、出家して未だ正の僧になっていない男子」(『広辞苑』)、「『世間』という語は本来サンスクリット語の『ローカloka』の訳語であり、壊され、否定されていくものの意で、『路迦』とも書く」(阿部謹也『「世間」とは何か』講談社現代新書)。
その「壊され、否定されていくもの」は、感官の世におけるものです。言い換えると、「無常ということ」は、覚えのいちいちに当てはまることです。ただ、万葉集においては、そこにみずみずしい命が湛えられていましたし、その後の時代には、そこに情が色濃く映し出されてきました。言い換えれば、「世間」「世の中」といったことばは、万葉集において恋や酒や哀悼や貧窮など命のきわまる場において用いられていますし、その後の時代には「憂き世」「浮世」「旅は道連れ、世は情け」「とかくこの世は住みにくい」といった言い方もなされてきました。なかんずく人と人がかかわる場においてです。ついでですが、「世」と「代」が通じあうのは、worldがwho old(だれそれのよわい)から来ているのと同じです。
そして、『略伝』では「世は想い」「世は覚え」といった言い方もしています。聞き慣れない言い方でしょうし、命も情もさしあたりはほとんど通わないかもしれません。そもそも意味さえ見いだしがたいかもしれませんが、願わくば、ひとりひとりのアクテイブな読みによって、大いなる意味が見いだされ、盛んな命が湛えられ、気高い情が通わされることを。
さて、「世は想い」を唱える人のこころ、クリティカルな想念論者の関心は、主の世である想いを飛び越え、その想いを生みだすものへと向かう、というのが三の段のお終いの文でした。この回は四の段からです。
しかし、クリティカルな想念論者が行き着けるのは、こういうところまでである。その者はこう言う。わたしは、わたしの想いの内に閉ざされており、その外に出ることはできない。わたしが、わたしの想いの後ろにあるものごとを考えるにおいても、その考えは、やはり、わたしの想いを超えてはいない。そのような想念論者は、そこから、ものごとそのものを、まったく打ち消すようになるか、または、すくなくても、こう説き明かすようになる。ものごとそのものは、わたしたち人にとって、なんの意味ももたない。すなわち、ないのと同じである。なぜなら、わたしたちは、それについてなにも識ることができないからである。
乗りかかった船ですから、もうひとっ万葉の歌を引きます。
世間(よのなかの)の繁き仮盧(かりほ)に住み住みて
至らむ国のたづき知らずも
「至らむ国」も「ものごとそのもの」も、それとしては覚えられない、つまり、ただの考えであり、覚えのいちいち、感官の世の移ろいをもとに想いもうけられる、つまり、仮りの想いです。ただ、そのことが、前者においては、ほとんど識られていないのに対して、後者においては、はっきりと識られていています。言い換えると、前者は、いわばなんとなくの想念論者が歌うところであり、後者は、まさにクリティカルな想念論者が唱えるところです。
その違いは、そこに通う情の違い、気持ちの違いとしても表れてきます。「至らむ国」にはむしろ憧れの情が似合うでしょうし、「ものごとそのもの」にはむしろ虚しい情、乾いた情が似つかわしいはずです。言い換えると、前者は、まことはどこか遠いところにあるという気持ち、後者は、まことは探しても見つかりはしないという気持ち、まことなど云々してもはじまらないという気持ちです。
次の段に進みます。五の段がこう続きます。
その種のクリティカルな想念論者には、世のまるごとが、ひとつの夢として現れる。その夢に対しては、知ろうというこころの起こりのいちいちが、そのまま意味無しであることだろう。その者にとっては、ただ二通りの人がありうるのみである。囚われた人、すなわち、みずからの夢の織りなしをリアルなものごとと思い込む人と、賢い人、すなわち、その夢の世の虚ろであることを見抜いて、だんだんに、それについてこころを用いる意欲を、きっと、なくしていく人とである。その立場にとっては、また、みずからの人となりも、ただの夢の相となりうる。眠って見る夢の相のなかに、わたしみずからの夢の相が現れるのと同じように、目覚めた意識のうちにおいて、みずからの〈わたし〉の想いが、外の世の想いに加わって出てくる。その時、わたしたちが意識のうちにもつのは、わたしたちの実の〈わたし〉でなく、わたしの〈わたし〉なる想いのみである。ものごとがあるということを、または少なくても、わたしたちがものごとについてなにがしかを知ることができるということを打ち消す者は、きっと、また、みずからの人となりがあるということ、もしくは知られるということをも打ち消す。そのクリティカルな想念論者は、その時、こう言い立てるまでに行きっく。「リアリティのすべてが妙なる夢となりかわる。命もなし。命は夢見られているところ。精神もなし。精神は夢の繰り出すところ。すべては夢のなかで夢そのものとかかわる夢である。」(フィヒテ『人の定め』)
ここでも一首を引きまます。『万葉集』から少し時代が下って、『古今集』の紀友則の歌です。
寝ても見ゆ寝でも見てけりおほかたは
うつせみの世ぞ夢にはありける
「世間」が「至らむ国」との対で「仮鷹」となるとおり、ものごとが「ものごとそのもの」との対で「夢」となります。そして、「世間」が「うつせみの世」という儚いところとなり、「仮鷹」が世捨て人の好んで住むところとなるとおり、ものごとを「夢」と見なす人が、ものごとにかかわる意欲をなくすようになり、さらにはすすんでなくすようにもなります。なんとなくであれ、クリティカルであれ、想念論者にとって、この世は虚しいところです。ただ、友則の歌には「ふぢはらのとしゆきの朝臣の身まかりにける時に、よみてかの家につかわしける」という前書きがあり、かの家の人を慰める気持ちも込められるとおり、なんとなくの想念論者のこころは、なんとなく癒されもします。なぜなら、「至らむ国」は死んだ後に至るところである、というようにも想われているからです。しかし、クリティカルな想念論者のこころは、かりそめに癒されるばかりです。なぜなら、「ものごとそのもの」は、人が知ることのできないところですから。
かたや、また、わたしの〈わたし〉も、人となりも、からだも、ものごとのうちです。
世の中にいづらわが身の有りてなし
あはれとやいはむあなうとやいはむ
「あなう」は「あな憂」だそうですが、右もまた『古今集』のなかの一首です。ただ、なんとなくの想念論者にとっては、「わが身」、主としてわたしのからだが儚いものであるのに対し、クリティカルな想念論者にとっては、フィヒテのことばのとおり、わたしのからだも、人となりも、〈わたし〉も虚ろなものです。探しても、かりそめにしか見つかりません。その者が〈わたし〉を探すにおいては、探すほどに虚しさが募るはずです。
そして、六の段です。
じかに生きることを夢として知ると信じる者が、その夢の後ろになにもないと思おうが、その者が、その者の想いを、実のものごとと重ねようが、生きることそのことは、その者にとって、きっと、知識への関心のすべてをなくす。夢をもって、わたしたちが与り知ることのできるすべてが尽きると信じる者にとっては、知識のすべてがまやかしであるが、かたや、想いからものごとを推しつつ論じることが許されると信じる者にとっては、知識が「ものごとそのもの」を探り究めることとして成り立つ。前者の世の見解は、絶対的な幻想論という名でも呼ばれようし、後者は、それを最も徹して代表する者、エドワルト・フォン・ハルトマンが、先験的な現実論と呼んでいる。
なんとなくの想念論とクリティカルな想念論、先験的な現実論と絶対的な幻想論、とにかく想念論者のこころは、遠くを慕うむきと近くを厭うむきのあいだで働き、憧れと渇きのあいだで虚しさを抱きます。想念論者にとって、この世のものごと、じかに生きて対するところを知るということは虚しいいとなみです。(なお「知識」に当たるのはWissenschaftであり、Wissen〈知っている〉schaft〈こと〉というつくりで、つねづねには学問、科学とも訳されます。)
そして、想念論者は、時を経るにつれて、厭うむきへと傾き、ますます渇きを抱えるようになります。つまり、なんとなくの想念論者が、みずからに目覚めて、クリティカルな想念論者となり、絶対的な幻想論者となります。なぜなら、その者の慕う「遠く」は、「近く」をもとにしての想いもうけに他ならないからです。
古いことばばかり引いてきましたが、ここでひとつ新しい論を引くことにします。オタクという、いわば「自分の世界に閉じこもりやすい」人たちをめぐる論です(東浩紀『動物化するポストモダン一オタクから見た日本社会一』講談社現代新書)。論者はオタクに三つの世代があるといいます。主に六十年前後生まれで、物語を物語と識りながら、いや、むしろ識っているから、こころを踊らせる世代、主に七十年前後生まれで、「キャラクター」と呼ぶキッチュな像のキッチュさにこころを高ぶらせる世代、主に八十年前後生まれで、ヴァーチャルなリアリテイのもとにあるデータベ一スにこころをときめかす世代です。そして論者は第一世代のライトモチーフを「世界は物語である」ということばで、第三世代のライトモチーフを「世界はデータベ一スである」ということばで言い表しています。ただし、オタクはそういうことばを使いません。
そこからすると、オタクも想念論者です。しかも、若く、まだ想うということがおぽつかないうちからの・・・。または、こうも言うことができます。オタクはクリティカルな想念論の立場にたつ今の科学の落とし子です。そして、いうところの「世代」は、「世」ないし「代」の狭く閉じたかたちです。
さて、七の段です。
どちらの見解も、ナイーブな現実論と、このことを共にしている。すなわち、いずれも世に足場を得ようとするにつき、覚えを探り出すことによっている。しかし、いずれも、その領域の内には、しつかりした点を見いだすことができない。
そもそも、クリティカルな想念論は、みずからのからだの覚えをナイープに実のものとすることでなりたっています(4-c-1から5-a-1)。
そして「覚えのかずかずは、やって来ては去り行き」ます(4-b-4)。また「わたしの覚えの境が広がるごとに、わたしは、わたしの世の相を建て直すことを要し」ます(4-b-2)。また、紛れのない覚えの世の相は、「冗々地」すなわち「感覚の客のかずかずの、ただなる、かかわりを欠いた、色のとりどり、音のいろいろ、触、熱、味、匂いの感覚のそれぞれ、そして快と不快のいちいち」です(4-a-4)。つまり、覚えの領域そのものの内には、しつかりと立つことのできる点が見いだされません。
さきへと進みます。八の段がこう続きます。
先験的な現実論を認める者にとっての主たる問いは、きっと、こうであろう。どのようにして、わたしは、まさにわたしから、想いの世をなりたたせるのか。わたしたちに与えられてある想いの世は、わたしたちが外の世に向ける感官を閉ざすや、消え去るものの、その想いの世にとって、まさしく知ろうと勤しむ勤しみが熱くなされうるのは、その想いの世が、そのものとしてある〈わたし〉の世を間接に探り究めるための手立てである限りにおいてである。わたしたちの経験するものごとが想いであるのなら、わたしたちの日々に生きるということが夢と同じになろうし、まことのことの立ちようを知るということが目覚めと同じになろう。また、わたしたちの夢の相がわたしたちの関心をそそるのは、わたしたちが夢を見ているあいだ、つまり夢が夢であるのを見抜かないあいだにおいてである。目覚めたその時、わたしたちが問うのは、もはや夢の相のかずかずの内なるかかわりの方ではなく、そのもとにある物理的、生理的、心理的ななりゆきの方である。同じく、世をみずからの想いと見なす哲学者も、世におけるいちいちの内なるかかわりには、ほとんど関心を起こすことができない。およそ、かれがそれとしてある〈わたし〉を罷り通す場合、かれが問おうとするのは、かれの想いのひとつがもうひとつにどうかかわるかではなくて、かれの意識が定かな想いの繰り出しを抱くあいだ、かれに依らないこころにおいて、なにがなりゆくかである。わたしが夢で酒を飲み、喉が焼けるように熱くなり、咳き込んで目覚めるとして(ヴァイガント『夢のなりたち』1893)、まさに目覚めたその時、夢の筋は、わたしにとって関心のあるものであることを止める。わたしが気にとめるのは、せいぜい、咳き込むということがシンボリックに夢の相として表れることのもととなった、生理的、心理的なプロセスぐらいである。同じように、きっと、哲学者も、与えられた世が想いであることを確かだと信じるや、ただちに、その世から、その世の後ろに潜む実のこころの方へと飛び移る。もっとも、ことはさらに芳しくなくなる。幻想論が、想いの後ろなる〈わたし〉そのものを打ち消すか、少なくても知られないと見なすにおいてはである。そのような見解へと、たやすく導きもするのが、こういう見である。夢に対してならば、目覚めた立ちようがあり、その立ちようにおいて、わたしたちは夢を夢と見抜き、それをリアルなかかわりに重ねるチャンスをもちあわせるが、目覚めた意識で生きるに対しては、同じようなかかわりにある立ちようを、わたしたちはもちあわせていない。その見解を認める者からは、こういう見通しが離れゆく。ここになにかがある。それが、まこと、ただに覚えることにかかわること、目覚めた立ちようにおいて経験することが、夢にかかわるに同じです。そのなにかとは、考えるである。
夢に目覚めがあるように、ただの覚えに考えるがあります。わたしたちは、ただの覚えに目覚めるものでもあります。覚えは嵩じもしますし、見るには見通しが出てきもします。その目覚め、覚えの嵩じ、見通しは、ほかでもなく、考えるのおかげです。すなわち、覚えは、考えるとの重なりにおいて、まさにわたしのしつかりと立つよりどころとなります。(「見通し」に当たるのはEinsichtでありein〈深く〉sehen〈視る〉からきて、閲覧、洞察、見識といった意です。)
お終いにー首、これは『拾遺集』からです。
世間を何に譬へむ朝ぽらけ
漕ぎ行く船の跡の白浪