略伝自由の哲学

略伝自由の哲学 · 10日 10月 2018
わたしたちが日々迎える「もの」。この「もの」というものが1000年前にはもののけや物狂いのように忌み嫌われていたところから、今はものが賑々しく溢れ、物狂いはイノベーションとして尊ばるれ。いずれにせよ、わたしたちが統べる、手の内にするには至っていません。「もの」の明度を云々するところからその光をもたらす「こころ」のほうに意識を向ける。まさに意識の意識たるところがきっと目指されるところになります。
略伝自由の哲学 · 08日 10月 2018
わたしが意識をもって生活をしているということは当たり前も当たり前のことですが、その当たり前の自分の意識ということを考えていくと導入の部分としてもこれだけの深みがあるのかと恐れおののきます。この深みたるや人ひとりにおいても果てしない深みがあるのと同時に、隣の人にも同じ果てしない深みが確かにある。昔の人が一日一日、折につけて祈りを捧げていたように、現代を生きるわたしたちは、この人の、世の果てしなさを一日一日、折につけて、思い馳せたいものです。
略伝自由の哲学 · 01日 10月 2018
何かを知る、認識するというプロセスを鈴木さんは「ふと」「はて」「なんだろう」「なあんだ」ということばにしてくれています。言い得て妙とはこういうこと。なんと普通のプロセスなんだろうと思いつつ、こういうことをしっかり意識は全然出来ないものですよね。だからスペンサーがいうような帰納的な21世紀も通用する物言いの一面性を拭えないんですよね。
略伝自由の哲学 · 28日 9月 2018
「一重のなりたちをしていないのが人である」通り一辺倒な成り立ちをしていない。人を成り立たせる様々なファクターを執り成すのはたやすくない。日々の日常全くその通りですよね。そもそものわたし自身の様々をひとつひとつ丁寧に見ていくことから、たやすくない執り仕切りを稽古することになります。
略伝自由の哲学 · 20日 9月 2018
さて、個人的にも大ヤマである第三章を終え、第四章に入ります。 「すなわち、わたしが、わたしの起点として、考えるを引き立てたことであり、〈考え〉とイデーをではないことである。」 三章を踏まえて、ここに起点をとして考えるを引き立てます。そこから今度は世界をどう見て取っているのかというところに迫っていきます。
略伝自由の哲学 · 11日 9月 2018
「いよいよ、哲学する者が、しんがりもしんがりを、その者のはじまりと見つけるようになって、目標へと至ることができよう。そのしんがりもしんがり、世の繰り出しがもたらしたそれが、考えるである。」 しんがりもしんがりからわたしたちは始めることができる。一足飛びに世界観を捉えることは出来ません。しかし今の時代のありがたは、自分を含めて、一足飛びに世界観を捉えたくて仕方がないような有り様をしています。しんがりとしてのあり方。最後から歩みはじめ、自分の歩の進みを確かに見て取りながら世界を掴んでいく。確かさが希薄なこの時代に、切実に求められていいあり方だと思います。
略伝自由の哲学 · 26日 8月 2018
第三章も大詰め。①まさに人の働きとしての、考えつつ見て取るで、世を捉えること。②私たちが捉える世は、それなりのありようをもってあり、それなりのなりたちをもってなりたつ。この2つを履き違えると、陰謀論のような、世界を誰かが支配しているような話になったり、あるいは自分の生きることがなにかに決定されている、大いなるものの指示に従っているような自由の無い話になってしまう。この世界の片隅から、世界という謎にたしかな眼差しを注ぐ。そういう意味で「考える」ということに真摯に向き合うことがこれからの人にどんどん重要になってくると思います。100年単位の時間をかけて。
略伝自由の哲学 · 25日 8月 2018
そこはかと。其処は彼と。はっきりと明瞭に。考えるということはまさにはっきりと明瞭に私たちがすることの筆頭です。ただただはっきりと明瞭すぎると、まさに太陽を見るかの如くまぶしすぎ、通常目は耐えきれません。太陽の光を心の目で見る。わたしたちにとってはっきりと明瞭なことって、肉眼で見ること以上にこころでたしかに見ることが上回ります。おもしろい問題です。
略伝自由の哲学 · 16日 8月 2018
略伝更新です♪♪「考えるを見る」ことがさながらお天道様のごとくであり、わたしが目覚めるにおいて天に明るみ、わたしが目覚めているにおいて天から照らしつつ、「どこにでもついてまわる」。こんなにも親しく近すぎるからこそ、なかなかその恩恵に預かれないのも灯台下暗しということなのでしょうか。日々少しづつ親しくなっていきたいものです。
略伝自由の哲学 · 15日 8月 2018
略伝カムバック!!長らく更新できていず失礼しました。副業が忙しすぎて気づいたら立秋です(汗)秋限定ビールも販売です^^「さしあたり、わたしにとって」という慎ましいことば。この秋の端緒にふさわしい気分な気がしてなりません。ここからは頻繁に更新していきますので引き続きよろしくお願いいたします。

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