略伝自由の哲学

略伝自由の哲学 · 05日 4月 2018
「考えるプロセスに重なる、見通しのきく明らかさは、考えるの生理基盤についての、わたしたちの知識に、まったく左右されない。」「人は考えるについて語ることができる。しかも、すぐさま脳生理学とかちあうには及ばずにである。」  「考える」を突き詰めて考えてみると、今をときめく脳科学を介在させなくとも語ることができる。いわゆる今の科学の前に、その科学と同じ手法で、科学を成り立たせているそものそもの「考える」ということにせまります。
略伝自由の哲学 · 03日 4月 2018
 「考える」ということは、ビジネスや自己啓発的な世界ではとても重要視されてはいますが、ここで言われている「考える」の視点に立っているものいいは広く見渡してもほとんど見かけられません。考えることが重要と言っている人も、このユニークな立ち位置にたっての物言いはありません。「考える」がなによりも自分に親しく、親しい働きであること。まさに自分自身そのものの働きであること。近すぎるゆえに見づらい。でもこの親しみや親しさという点から誰でも迫れますし、今の人のひとり一人の物言いの中にはこの親しさ、近しさがとても一般的になってきています。自分から遠くきらびやかな世界も悪くないですが、自分に親しい、近しいもの、当たり前のものへの視点が、今まで以上に高まってきている気がします。
略伝自由の哲学 · 24日 3月 2018
 「考える」というごく当たり前のことを薄皮を一枚一枚はぐように丁寧に見ていきます。要になってくるのはいつも何かの対象について考えているという通常のやり方ではなく、その何かではなく考えている「考える」自身に、何かについて考えるという当たり前のことを引き起こしている「考える」そのものにフォーカスを当てていくことになります。  鈴木さんの文章には多々引用が入りますが、今回の井上八千代さんの引用も、世界のどこでも真摯に何かに取り組んでいる人は同じところに行きつく。エキセントリックに取られたくないですが目には見えないところのリアリティーを突き詰めつ感じに胸が高まります。
略伝自由の哲学 · 26日 2月 2018
 まとめて3つアップデートで第三章②完了!略伝とは、「自由の哲学」を簡略に述べて伝えるというところと、鈴木さん自身が「自由の哲学」を楽譜としてどお奏でているのかというところの略伝でもあります。そして読みての略伝を、読み手自身のサウンドを期待する想いも含まれていると思います。  全ての学びはお稽古事で、学びは知を恵みに変える稽古です。  その恵は如実に人その人に宿っているし現れています。私が飲み会のような語らいの場が好きなのはその人の恵がかなでるものを交わす場だからなんだなぁと思います。本に書いているような、何かの解説のようなアントロの話とかって、繰り返し聞くとすると聴いていても楽しいものではないですよね。その人ならではのものが出てくること、そしてそれが見もの聴きものになって欲しい。意外な人から意外な話が聞けるときの喜びってその人の略伝を聴いたって感じだなぁ。  なにはさておき意識の極みなところですので痛々しい部分もあるかと思いますが、共に耳をかたむけてもらえると嬉しいです。
略伝自由の哲学 · 26日 2月 2018
 さらに次の段です。...
略伝自由の哲学 · 25日 2月 2018
 さらに、なにか見つつ考えるは、わたしたちが、いわばありふれたたちようにおいてしていることです。その考えるは、そのなにかに及んでおり、その考えるには、考えられないところです。そして、そのことが、考えるを見るという、いわばユニークな立ちょうにおいて知られます。はたして、いかなる立ちょうでしょうか。  次の段が、こう続きます。...
略伝自由の哲学 · 25日 2月 2018
 個人個人の状況によりますので固定的な話、断定的な話ではないのですが、今の時代、精神的、いわゆるスピリチュアルというものがさしているところと相対する際、「考える」というところを意識するところにその発端があります。わたしたちが日々「考える」というその行為そのものが、私たちに一番身近であり、確かでありつつ、目にみえないところであります。そこから目に見えない世界、精神的とかスピリチュアルということで指し示されるところに一歩一歩あゆみを進めることが、確かに精神の世界の見識を広げる手立てになるはずです。
略伝自由の哲学 · 19日 2月 2018
 第三章は②−3からの直接「考える」に相対し合うところから盛り上がってくるのですが、ここで鈴木さんが書かれている次の一文もドーンと驚きや不可思議さの世界に突き落とされる感があります。「わたしたちは、見初めたあの時を、いまこの時に憶い、さらにまた新たないまこの時に憶って、時の流れを知ります。そもそも、時から時が引き続くというのは、わたしたちが憶いに重ねて考え、憶いを引き続き考えるからです。つまり、時の引き続きというのは、まずもって考えられるところです。考えるは、その意味においても、与えられたところを踏み越えます。」
略伝自由の哲学 · 12日 2月 2018
 第三章の②。①のように一気に投稿しようかと思いましたが、自分にとっても思い入れの強い部分なので、いくつかに分けて投稿します。  「考える」ということに真正面に向き合うという、まさに太陽を直接見るような試みとなります。ひとつ有り難いことは、今の時代の人には心を壊さずに「考える」ということを直視する可能性が開かれているということです。その可能性が、ひとり一人のアクティビティーにかかっている。生き生きと活発にみずから考えるに向き合うという可能性が。向き合う向き合わないという自由の上に。
略伝自由の哲学 · 03日 2月 2018
少し予定を遅れていますが第三章突入〜。10年以上前の鈴木さんの仕事ですが、今感がすごいな。わたしはこの頃書いていた自分の文章は青臭すぎて読めません(笑)。こういったテキストで盛り上がれるかたもなかなか変わっている方だと思いますがもしおられましたら是非ご連絡お待ちしておりますm(__)m

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