略伝自由の哲学

略伝自由の哲学 · 03日 3月 2019
 第八章の六の段から、前の回に引き続き、欲するに目を向けます。
略伝自由の哲学 · 24日 2月 2019
 この八の章では、一の章から七の章までに得たことを、くりかえし見ています。この回は五の段です。
略伝自由の哲学 · 19日 2月 2019
情の培も、考えると携えあってのものですね。 「考えるは、ユニバーサルであり、主客や内外といった対を凌いでます。その考えるからじかに醸される情が、「すべてでひとつのもの」の情、または「わたしみずからであること」の情です。その情は、主のとも客のとも言えない、言わばインデイビジュアルでユニバーサルな情です。そして、その情こそは、情の生の培いの、ふさわしい導き手です。」
略伝自由の哲学 · 19日 2月 2019
後半戦「自由の現実」はじまりはじまり!! 「わたしたちは、考えるにおいて自由を謳歌し、その自由を、感じるにおいて深め、欲して勤しむにおいて、富ますことができます。まさにその意味において、知識は、現実と応じ合おぼい、携え合います
略伝自由の哲学 · 21日 1月 2019
とうとう「自由の哲学」前半も大円団。前半は”自由の知識”と銘打たれています。副題の通り「自然科学の方法による、こころを見ることの成果」として七章に渡り語られてきました。私も何度か巡った道ですが、終わりのない道です。帰り道は”自由の現実”です。乞うご期待!!
略伝自由の哲学 · 20日 1月 2019
引き続き、ナイーブな二元論、メタフィジカルな二元論と、一元論の違いを丁寧にみていきます。
略伝自由の哲学 · 20日 1月 2019
第七章もあとふたつ。今の人がどのように物事を捉えているかこうもじっくり見るとこういうことになってるのか、と改めて驚きますし、あまり疑問ももたれていないことにも、先の長い旅路であることを感じます。
略伝自由の哲学 · 20日 1月 2019
「ナイーブな人は、要するに理念としての、考えるの証しに加えて、感官のリアルな証を求める」。〈考え〉ということ考えるということにリアリティーを持てない。〈考え〉ということおいてはリアルなものを感じている人も増えているかと思いますが、〈考え〉を捉える考えるということ。いずれのリアリティーを丁寧に見て取るということの難しさを感じます。目に見えないものへのアプローチはそんなにめずらしいことでもないですが、それに丁寧に確かにアプローチするということはあまりなされないですね。先はまだまだ長い!
略伝自由の哲学 · 19日 1月 2019
「知るのプロセスは、わたしに問いが与えられる、もしくは生じるところから始まり、その問いをわたしが引き受け、まさに問いとして立てるにおいて捗り、わたしが答えをさず授かるにおいて、ひととおり終わります。」 問いを立てる。問いは与えられて色々ありますよね。自分の胸にたずねてみればいろいろな問いかけがあるはずです。とりわけこころを右往左往する悩みだったり疑問であれば。そこにどんな問いが与えられてあるのか。そういったことをよくよく考えていくことで問いが立ってくる。言われてみて妙(たえ)なプロセスだなぁ。日々なんとか与えられたといを下手くそながら立てよう立てようしているなあと思いました。
略伝自由の哲学 · 19日 1月 2019
「答えるプロセスは、問いを、明らかに、はっきりと立てていくプロセス」 有史、いやその前からきっと人が脈々と続けていることはこの、問いを立てるプロセスなんだな。なんと身近の、なんと大いなることが控えているとは。。。 そしてこの問い、一人ひとりそれぞれの自由のもとに問われることになる問いなんですよね、、、ことばがありません。。。

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